はじめまして。写真家の上田優紀です。ネイチャーフォトグラファーとして世界中を旅しながら自然風景を撮影をしています。だいたい1年のうち3〜4ヶ月ほど海外に出ているのですが、2021年の春にエベレストに挑戦し、無事に登頂を果たすことができました。

今回は360度カメラのTHETAで撮影してきた写真を通して、世界最高峰までの道のりを皆さんと一緒に改めて旅していけたらと思います。

エベレストに挑戦した理由

そもそもなぜエベレストなのか。答えはすごく単純で世界で、一番高い場所から見た風景はどんななのだろうと思ったからです。僕が撮影先を決める時に最も大切にしているのは好奇心。この地球上にはまだまだ自分の足で旅しなくては見ることが出来ない風景が広がっています。そんな世界を記録し、伝えることが僕の使命だと思っているのです。

もう少し具体的にお話すると、僕は写真家として独立してからつい4年ほど前までヒマラヤの山に登るなんて想像していませんでした。その時はウユニ塩湖に40日間テントを張ったり、パタゴニアを2ヶ月近く旅しながら撮影したり、水平の世界で活動していました。

ウユニ塩湖で40日間に及ぶ撮影をしていた時の僕のテント。その間、誰にも会わなかった。

ところが色々な出会いがあって、こんな自分でも垂直の世界に行くことができるかも…と思うようになったのです。そこに行けばもっと想像も出来ない風景と出会える、そう考えたらもう居ても立っても居られなくなりました。

初めてのヒマラヤ登山への挑戦を決めた半年後の2018年の秋。ヒマラヤで最も美しい山のひとつと言われるアマ・ダブラムへ挑戦しました。切り立った稜線や頂上直下までの厳しい垂直の氷壁。高山病に悩まされ、最後のサミットプッシュの時には肋骨も折れていました。本当に身も心もボロボロで残る力を振り絞り、何とか頂上に立った時、目の前にさらに大きなひとつの山が見えたのです。

アマ・ダブラムの頂上から見たエベレスト。この風景を見てエベレスト挑戦を決めた。

それがエベレストでした。満身創痍で辿りついたアマ・ダブラムの頂からさらに2000メートルも高い世界最高の山です。その時、あそこからの世界を見てみたい、記録したい、そんな気持ちがふつふつと心の底から湧いてきたのです。

世界最高峰を目指してまずはベースキャンプへ

エベレスト登頂を目指し、アマ・ダブラムから帰ってきてからもトレーニングを続けました。翌2019年には世界8位の高峰、標高8163メートルのマナスルを登頂し、エベレスト登山にかかる莫大な資金もたくさんの人に助けてもらいながら何とか調達。コロナの影響で1年の延期を余儀なくされましたが2021年の春、ついに挑戦の時がやってきました。

ネパールの首都カトマンズに到着し、準備を整えた僕は飛行機でエベレスト街道の玄関口でもあるルクラという村にやってきました。まずはここからベースキャンプを目指していきます。ここから先は徒歩移動。相方のシェルパと2人でヒマラヤの山々に囲まれた道を歩いて旅していきます。

1週間ほど歩き続けてついに見えてきたベースキャンプ。標高約5200メートル。ここまで登ってくるともちろん緑は無くなり、岩と氷の世界が広がっています。僕が到着した4月14日にはすでに多くのクライマーたちが世界中からやって来ており、さながら小さな村のようにたくさんのテントが張られ、5色の祈祷旗タルチョがはためいていました。

エベレストのベースキャンプ。5色の祈祷旗タルチョがはためいていた。

この年のエベレストの天気は異常でした。通常なら天気が安定する5月になってもなかなか好天に恵まれず、ベースキャンプでも何日も雪が降り続け、どんどん出発の日が遅れていきます。果たして本当に登頂することはできるのか。そもそも挑戦することすら出来ずに下山するのではないかという不安に襲われました。


氷河の上に建てられたベースキャンプ。ここで2ヶ月のテント生活をする。

アイスフォールの中はロシアンルーレット

無事に高所順応を終えた5月中旬。まだ多少は天気の不安はありましたが時期的に最後のチャンスと考え、ベースキャンプを出発しました。最初に目指すのは標高5900メートルのキャンプ1。そこへはルート上で最も危険な場所のひとつだと言われるアイスフォールを越えていかなくてはいけません。


エベレストの入り口。ここから先は神の領域。

エベレストのアイスフォールは高低差700メートルほどの氷の滝のようなもの。車サイズや大きいものではビル3階建サイズの氷の塊がランダムに落ちてきます。いつどこに落ちてくるかは天のみぞ知る世界。生と死を分けるのは落ちる場所にいるかいないかのみです。そこに経験者や初心者といったものは関係なく、ベテランのシェルパでさえ命を多々落としています。まるでロイアンルーレットのような場所なのです。人間のちっぽけさと自然の偉大さを痛いほど感じながら登っていきました。


アイスフォール内部。巨大な氷塊はいつどこに落ちてくるか分からない。

クレバスと雪崩の巣、ウエスタンクーム

アイスフォールを何とか乗り越えた先にキャンプ1があります。ここで1泊。高度順応が上手くいっており、息苦しさはさほど感じません。しかし、天気はやはり悪く、雪が降りはじめました。


アイスフォールの先にあるキャンプ1。降雪が心配…。

翌朝は嘘のような快晴。標高6000メートル以上とは思えないような暑さの中を、汗だくになりながらキャンプ2まで登っていきました。キャンプ1からキャンプ2まではなだらかな雪原が続きます。左にヌプツェ、右にエベレスト、正面にはローツェ。世界でも屈指の高峰に囲まれたこの美しい雪原はウエスタンクームと呼ばれます。


名だたる名峰に囲まれながらウエスタンクームを歩く。

一見、傾斜のゆるやかな歩きやすい雪原ですが足元には数えきれないほどの氷の裂け目、クレバスが口を広げています。見えているぶんにはいいのですが、薄く雪が被ったクレバスは落とし穴のようになっていて、その中に落ちてしまうと命はありません。僕がここを通った翌日、ベテランのシェルパがクレバスに落ちて亡くなっていました。

ウエスタンクームの恐ろしさはそれだけではありません。左手に見えるヌプツェの壁面に溜まった雪が流れとなって襲いかかってくるのです。

最高の星空と最悪の停滞

恐ろしいウエスタンクームを超え、キャンプ2に到着。天気はなんとか持ちこたえてくれました。しかし、そこはもう標高6500メートル。高度順応をしているとはいえ、少し動くだけでもすぐに息切れしてしまいます。食欲もなくなり、酸素不足で苦しくて夜も寝れません。ここからまだ2000メートル以上登らなくてはいけないなんて…。果たして自分にそんなことが出来るのだろうか、恐怖にも近い暗い感情が心を覆っていくのが分かりました。


標高6500メートルのキャンプ2。まさかここで5日も停滞するとは。

その夜、トイレのために外に出ました。テントを出た瞬間、目の前の風景に動くことが出来なくなりました。そこに宇宙が広がっていたのです。見たことのないような数の星々が頭上で硬く輝いています。宇宙にはこんなにも星があったのか、そんな当たり前の事実に改めて気づき、感動を覚えました。

キャンプ2で見た星空。その美しさに一瞬、苦しみも吹き飛ぶ。

しかし試練はここからでした。帰国した今、どこが一番しんどかったか聞かれたら間違いなくキャンプ2だったと答えるでしょう。星空に感動した後、天気は急激に崩れはじめたのです。あまりの強風にテントは吹き飛ばされそうになり、雪は降り積もり、とてもこれ以上登ることはできない状況になったのです。

翌日からキャンプ2での停滞がはじまりました。人間が生きていけるギリギリの境界線と言われる標高6500メートル。そんな場所に何日もいては体力はどんどん無くなっていきます。他の登山隊は今年の挑戦を諦め、下山を決めたチームも出はじめました。僕も決断を迫られます。

食料も尽きはじめた5日目の朝、天気は晴れ、風も弱くなっています。これが最後のチャンスでした。シェルパと話し、頂を目指してキャンプ3へ出発。また前に進めることが嬉しくて、体力はギリギリだったのに心は空と同じように晴れ渡っていました。

氷壁ローツェフェイスを登る

キャンプ2を出発して1時間ほど歩くとローツェフェイスという垂直に思える氷壁が現れます。登攀器具を使い壁を登っていくのですが、このあたりから次第に風が強くなりはじめました。風が吹くたびに落ちないように止まっては風が止むのを待って、また少し進む。それを繰り返して虫が這うように本当に少しずつ進んでいきます。標高は7000メートルを超え、酸素ボンベ無しではかなり辛く、身体が言うことを聞いてくれなくなってきました。


停滞を何とか耐え抜き、キャンプ3へと進む。正面に見える壁がローツェフェイス。

ローツェフェイスを登る。多くの山が自分よりもう低い。

それでも何とか標高7300メートルのキャンプ3に到着。キャンプ3はローツェフェイスの壁の中腹にあるわずかにテントが張れる場所でした。テントに入って、雪を溶かし、熱いお湯を飲んだ時、あぁ生きているなと実感したのを覚えています。


標高7300メートルにあるキャンプ3。ヒマラヤの向こうに太陽が沈む。

少し落ち着いて、外に出てみるとちょうど日没でした。ヒマラヤの山の向こう側に太陽が沈みかけ、世界はオレンジ色に包まれていきます。やがてオレンジ色が占める面積は狭くなっていき、僕のいるキャンプ3は暗くなり、夜がやって来ました。しかし、まだあの世界最高の頂点には陽が残っています。この世界に残る最後の光がエベレストだけを照らす不思議な風景でした。

ファイナルキャンプと宇宙色の空

キャンプ3からファイナルキャンプとなるキャンプ4まではさらにローツェフェイスを登っていきます。標高7500メートルまで登るとようやく目指すエベレストの頂が見えてきました。同時にまだあんなに遠いのか、という気持ちにもなります。世界に14座しかない8000メートル峰のほとんどの山でも7500メートルという高さまできたら頂上はもう目の前にあるのが通常です。けど、今僕が見ている頂はまだ遥か彼方のように思えたのでした。

ようやくエベレストの頂が見えてきた。空は宇宙の色をしている。

この高さまでくると空の色が次第に変わってきます。黒に近い濃紺の空。僕たちはこれを宇宙を透かした色だとよく言います。空の色や空気の薄さ、この時、僕は人の世界を離れ、空に近づいていることを全身で、まさに体感していました。

キャンプ3を出発して8時間ほど登り、何とかキャンプ4に辿り着きました。キャンプ4はエベレストとローツェの間にある鞍部でサウスコルと呼ばれる場所にあります。それはテントが張れる最後の平坦な場所でもありました。

サミットプッシュ、そして頂上へ。

キャンプ4に着くなり、テントに倒れこんでしまいました。標高は7900メートル。人間はこの高さで生きていられるようには出来ていません。そこにいるだけで死が近づいてくる世界、そんな現実離れした領域に入ったのです。それでもTHETAで撮影をしようとしましたが、電源が入らなくなりました。頂上まで撮りたかったのに無念…。

キャンプ4。ここで少し休憩していよいよ最後のプッシュがはじまる。

3時間ほど横になってから最後の準備をはじめました。正直、少しでも寝れたこと、さらに全く食べられないと思っていたフリーズドライのご飯とみそ汁も出発の前に全て食べられたことは自分でも驚きました。かなり調子は良い。登頂できるかもしれない。はじめてそう思えた瞬間でした。

バックパックに最低限の荷物とカメラ、酸素ボンベを入れて、夜中23時にいよいよサミットプッシュ開始。相方のシェルパにはお昼の14時をアタック中止の目安にすると言われました。つまりそれまでに登頂できなければ諦めなくてはいけません。キャンプ4を出て最初は快調に氷の斜面を登っていきましたが、8400メートルのバルコニーを超えたあたりから風がかなり強くなってきました。

バルコニーから南峰まで続く稜線上で強風を受けながらひたすら登っていきます。何度も飛ばされそうになり、少しでも気を抜けばチベット平原まで滑落しそうになります。さらに標高は8500を超え、ここより高い地上はもうこのエベレスト以外にない場所までやってきました。酸素ボンベを使っても息は苦しく、3歩も連続して歩くことが出来ません。指先の感覚もなくなり、とうとう登るより足が止まる時間が長くなってきました。

それでも這うように一歩また一歩と足を踏み出し続けました。どれくらい登ったのか、永遠に思えるほど重い一歩を積み重ね、東の空を見ると少しずつ色づきはじめていました。太陽はこんなにも暖かかったのか。暖かさが体を、そして心を温め、エネルギーを与えてくれます。標高8600メートルから見る日の出は今まで見たどの日の出よりも美しいものでした。

標高8600メートルで見た朝日。太陽はエネルギーを与えてくれる。

太陽からエネルギーをもらい、必死で登り続けました。次第に自分より高いものはなくなり、全ての景色は僕より下に広がっていきます。午前8時59分、ついに世界最高の頂に立ちました。いつも通りに達成感のようなものは湧いてきませんでしたが、どこまでも続く空と大地の美しさにただひたすら心震え、シャッターを切ったのでした。

エベレスト登頂。僕の上にはもう空しかなかった。

エベレストを登って分かったこと

世界最高峰エベレストを登って分かったことはただひとつ。それは「世界にはまだまだ想像も出来ない風景が広がっている」ということでした。そんな風景はきっと人の心を豊かにするものだと信じてこれからも地球を、願わくば宇宙まで旅をして記録していきたいと思っています。

THETAを使ってみて

これまで世界中を旅してきましたが、今回はじめてTHETAを使って撮影しました。360度パノラマでは写真や動画とは違ったアプローチで自然を感じることができると思いました。例えば個展などでもVRと組み合わせることで新たな展示表現になることを期待しています。

文:上田優紀

■上田優紀公式サイト「PHOTOGRAPHER YUKI UEDA」

■THE NORTH FACE 特設サイト「THE NORTH FACE MOUNTAIN」での上田優紀作品展示

■THETA画像を使ったバーチャルツアー


ルートマップ撮影・提供:Ang Jangbu Sherpawww.mountainguides.com

サイドバナー